1秒先はもっともっともっと輝く

 

「だって人生を賭けるみたいなもんやから」

 

 

関西ジャニーズJr. ROT 2回目の放送。え〜〜〜〜〜しんどい。(笑)まさか本人の口から直接 “就活”の話題を聞ける日がくるとは...

 

 

 

 

「(大学3年生までは)就職しようと思ってたんですよ」

 

果たして本当に「(大学3年生までは)」だったのかは分からないですけどぉ!わたしは大学卒業のギリギリまでだったといまでも思っている...。じょうくんが会社説明会に行ったり、所謂 “就活” をしてたのは噂には聞いていたからこそ、大学卒業と共に表舞台から去るのだろうな、と覚悟したのはいつだったかな...。あんまり思い出したくない時期のことですけど(笑)たぶん滝沢歌舞伎2018御園座公演のお知らせがくるまでずっと心のどこかで大きな爆弾を抱えていたと思います。

 

「じょうくんが “就活” をしている。」この事実がわたしをこんなにも苦しめるだなんて思わなかったんですけど(笑)なうぇすとの地方公演でじょうくんが黒髪にしたという情報を得たとき、いよいよだなと感じた。だって4回生になって黒髪ってねぇ?????もうそういうことじゃないですか...。あの有名なホームアローンのケビンさんに憧れて年明け早々に金髪にしたじょうくんを思い出して、就活前最後に遊びたくなったのかなと思ったのはわたしだけですかね...(笑)

 

 

銀二貫、夏の松竹座、スタ誕舞台挨拶。全部全部「これが最後かもしれない。次はやってこないかもしれない。」そんな気持ちでじょうくんを会いにいった2017年春〜夏。わたしが好きになったじょうくんは目標・やりたいこと全部教えてくれた。わたしはそれがとても怖くて、ひとつひとつじょうくんが目標を達成していく過程が終わりに近づいている気に勝手になって、寂しい気持ちになってました...。おたくとして最低だと思う。本当にごめんなさい...。

2017年、そんな爆弾を抱えながら現場に足しげく通っていましたけどぉ!すごく楽しかったんです!!!舞台上でキラキラしてるじょうくんが大好きだと再認識した2017年だったんですぅ!!!

「じょうくんが幸せになれる道を進んでくれればわたしはそれだけで幸せです。どんな道を選んでもわたしはじょうくんの味方でいたいし背中を押し続けたいです。それが舞台に立ち続けることであれば尚嬉しいです。」的な重〜い手紙を書き続けた2017年でもありましたけど!!(笑)現場から帰る飛行機の中で泣きながら帰ったこともあった!!(爆笑)

 

 

リューンが決まって、クリパのメールに個人名が書かれていてあけおめが決まって...。少しずつではあるけどじょうくんを取り巻く環境が変わっていった2017年秋〜冬。環境の変化とともにじょうくんの心境も変わっていけばいい、と本気で思った。でもいつまで経っても一度抱えた爆弾は消えることはなくてどんどん小さくなりながらもまだ心のどこかにいた。だから2018年の年が明けてリューンが始まって、22歳の誕生日にじょうくんがくれた「これからも」を信じきれなかったんです...。本当にごめんなさい...。だから春松竹は千穐楽に入りました(笑)

 

 

わたしの心の中のものが爆発することは結果的になかったけど、2018年滝沢歌舞伎御園座への出演が決まって、毎週近況が聴ける関バリが決まって、社会人となったじょうくんを取り巻く環境はみるみるうちに変わっていった。そしてなにわ男子結成。

 

 

ROTの1週目で流れたじょうくんのコメント。

 

「これが最後のチャンスなんかな」

 

わたしも本当にそう思う。だからこそひとつひとつチャンスを逃さず全部掴み取ってほしい。売れてほしい。“藤原丈一郎” の名前が全国に知られてほしい。大好きだからこそじょうくんの夢が叶う瞬間をずっとみていたいと思う。

全国番組に出ることで新しくなにわ男子を知る人が増えて、関西Jr.に興味をもつ人が増えて、彼らの人気が出ることで今まで以上にチケットが取りにくくなったりするだろうし、遠くに感じてしまうこともあるかもしれない。でもわたしはそれ以上に、舞台で輝くじょうくんを1秒でも長くみていたいのです。それがわたしのいまの夢です。

一列目に立ったいま、その夢がが永遠に続くと信じているから。

 

 

だから本当に売れようね。わたしに出来ることといえば雑誌を買ってハガキを書いたり、各媒体に御礼周りや出演依頼を出したりすることぐらいしか出来ないけど、全部全部頑張るよ。じょうくんが人生を賭けて表舞台に残ってくれたこと、ずっとずっと忘れないよ。

 

 

「天職でもあり、怖いし、めちゃくちゃ怖いですよ」

ギャンブル中のギャンブル。わたしもジャニーズJr.を応援することはギャンブルだと思う。しっかりと勝ちにいきましょう!!

 

 

 

ROT2回目をみたおたくのひとり言でした!

両手ひろげて まだ見ぬ世界に夢を馳せるのさ

 

 

 

2018年10月6日。関西ジャニーズJr.から4年ぶりのユニットが誕生した。

 

その名も「なにわ男子」。

 

 

10月4日、お昼休みになりいつものようにTwitterを開くと世界が一変していた、と思う。新ユニット「なにわ男子」。そこにはじょうくんの名前が載っていた。見た瞬間、単純に嬉しかった。あんなに願っていたメイン入りが出来たのだから。

でもそれと同時に今まで信じていたもの、目指していたものがすべて壊れたようで涙が止まらなかった。

 

 

 

 

ジャニーズJr.の世界は儚くて脆い。それは知っているつもりだったし知っていたからこそ、いつ何が起こるか分からない世界で自分の居場所を見つけガムシャラに前に進もうとする彼らを応援するのが楽しかった。

 

Funky8はわたしの希望だった。

 

じょうくんを好きになってFunky8を知った。知れば知るほど大好きになった。高いお金を出して買った優馬くんソロコンのDVDは擦り切れるくらい毎日のように見た。なうぇすと名古屋公公演でWESTの誰かが「Funky8〜」って言ってくれた時涙が止まらなかった。京都マラソンの特番で仲間と紹介されたメンバーテロップにメンカラが使われていた時も涙が止まらなかった。JAM東京ドーム公演のJr.コーナーで大スクリーンに「Funky8」の文字が出た時も涙が止まらなかった。

彼らの夢を後押ししたい、叶えてあげたい。夢を実現した彼らと同じ景色をみたい。ただそれだけだった。

 

 

でもどんなに願ってもどんなに頑張っても現実は厳しくて、いまに至る、と思う。

 

毎月8人が載っている雑誌を買ってお礼のハガキを書いて…夢への投資だと思って毎月毎月頑張った。それが届いたのか非公式の彼らが読者アンケートにランクインした。ピンナップも貰えた。小さいけど8人のコーナーまで貰えた。でもずっと非公式のままだった。

 

いつからか同じステージに立つこともなくなった。それでも、それぞれの場所でそれぞれに与えられた仕事を全うする彼らがわたしの中では一番だったし、いつか同じ場所でさらにパワーアップした彼らを見れると信じていた。

 

 

信じていたんだよ…

 

信じていたの…

 

どんなに現実が厳しくても彼らの未来は明るく輝いているものだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、じょうくんは「なにわ男子」としての一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

Funky8と共に時代を過ごせて本当に幸せでした。後半は辛い時期がほとんどだったけど、彼らが発する言葉に勇気づけられ、頑張るチカラを貰って毎日生きてる実感があったよ、本当にありがとう。

 

 

 

 

じょうくんはあんまりFunky8って言葉に出さなかったよね。それでもたまに出る「いつもの」とか「8人で」がすごく嬉しかったの。きっとじょうくんの中でもFunky8での活動はタカラモノなはずだからずーっと忘れずに居てほしいな。

赤のスポットライトの下で踊るじょうくんに向けて赤のペンライト振るのが大好きだったよ。

 

 

 

 

 

 

まだまだわたしの中のFunky8は存在が大きすぎるのでこれを「なにわ男子」が超えてくれるのかは分かりませんが、じょうくんが「なにわ男子」のメンバーと見せてくれるいろんな景色を楽しみたいと思います。

 

これまでFunky8以外の関西のメンバーに興味がなさすぎたのでまずはメンバーをよく知ることから始めていこうかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いままでもこれからもずっとずっと大好きです。ありがとう、Funky8

 

届けこの音よ 放てあの空に

 

藤原丈一郎くん、22歳のお誕生日おめでとうございます。

そして『リューン〜風の魔法と滅びの剣〜』東京公演お疲れ様でした。

 

2月8日木曜日。東京公演で一緒にお誕生日のお祝い出来たこと、本当に嬉しく思います。

 

カテコでHappy Birthdayの音楽が流れた時、じょうくんは顔を上げずにずっとお辞儀をしていましたね。あの時なにを思っていましたか。

小学二年生でジャニーズ事務所に入って、人生の半分以上をジャニーズに捧げてきてくれたじょうくん。去年の産経新聞の連載で大学二回生の時に将来について悩んだと書いてありました。きっとそれはいまもだと勝手に思っています。このままジャニーズを続けるのか、違う道に進むのか、これはもうずっとじょうくんを悩ませる種だと思う。

でもきっとカテコでHappy Birthdayが流れた時「ジャニーズを続けていてよかった」と思ってくれたはず...。

 

正直、私はまだ春を迎えるのが怖いです。じょうくんは「これからも一生懸命頑張るので応援よろしくお願い致します」という言葉をくれたのに受け入れられなくてごめんね...。でもいつその時がきてもいいように覚悟はしているつもりです。じょうくん、いま何を考えていますか?

 

あまり人前で涙を見せないじょうくんだから、いろいろなものを背負ってしんどい思いをしていませんか?弱さを見せちゃいけないって思っていませんか?

 

私はじょうくんの強いところも弱いところも全部受け止めてじょうくんが頑張る道を、進みたい道を全力で応援したいと思っています。

 

22歳、まだまだ始まったばかり。不安になることもあるけれどじょうくんがくれた「これからも」を信じて...。

まずはリューン。残すは静岡、久留米、大阪。最後まで全力で駆け抜けて下さい。

 

 

 

わたしは23歳のお誕生日も笑顔でお祝いしたいと思っているのでそこの所よろしくお願いします(笑)

 

 

 

22歳の一年がじょうくんにとって素晴らしい輝かしい一年になりますように...!

ココロ刻め忘れんなよ青春のストーリー

2016年1月。無所担が藤原丈一郎くんに心を持っていかれたお話。

 

 

なんで今更って感じですけど...このご時世何が起こるかわからないな~と思ったので自分の備忘録としてはてなブログ開設しました...(笑)これ思ったの去年の秋頃だったのに気付いたら年明けてたし、リューン初日(プレビュー公演)の幕もあと一週間で上がるというこの状況...(笑)

 

まあとりあえず今回は藤原丈一郎くんを自担とするまでの記録です(笑)

 

 

2016年1月6日、「ジャニーズWEST CONCERT TOUR 2016 ラッキィィィィィィィ7」横浜アリーナでの出来事。この日のことはあんまり記憶にないんだけど自分でもこんなことってあるんだなって今でも本当にビックリしています...(笑)

 

元々、いまはバンドマンと化してる関西のお兄さんたちが好きだったのでじょうくんのことは知っていたし、何なら一時期B.B.V大好きだったし、高校の友達に関西担居たし、って感じで関西のこと全く知らなかったわけではなくて...でも当時の関西の推しは大橋くんだったはずなのに、気付いたら私の双眼鏡はじょうくんの姿を捉えて離さなかった(笑)ここで面白い話が一発目の時に外周横で友人がじょうくんにしゃしゃって()構ってもらったのを隣で爆笑してた人が私っていう...(笑)一年前は近くのじょうくんよりも遠くの大橋くんだった私だから、この日大橋くんが捌けた後も双眼鏡覗いてる私に(確かホルモンだったかな...)友人が「ねえ!誰見てるの???大橋くん居ないよね!?!!?ねえ!!」ってずっと言ってるのにガン無視(笑)公演終わって新横浜駅に向かってるときだったか友人の喫煙所に付き合ってる時だったかは忘れたけど「あの時追ってたのはじょうくんです」と伝えた時の友人の顔の驚きようは異様だった(笑)

 

そこからの私は転がり落ちるように...とはいかず(笑)今更じょうくんに降りるのもなあ...といろいろ悩み(笑)でもステージに立つじょうくんの姿が見たくて何とか手に入れた「寝盗られ宗介」は“一回だけ”と心に決めて新橋演舞場に向かったのはずだったに、気付いたら三回も足を運んでいたし、大千穐楽の涙を見てしまったらもうじょうくんの虜でした...金銭的余裕がなかった夏は関ジャニ∞のリサイタル和歌山公演の帰りに松竹座に寄ることしかできなかったけど、舞台上のじょうくんはキラキラしてて眩しくてもっともっと舞台に立つ、大きなステージに立つじょうくんを見ていきたい、じょうくんが頑張る姿をこの目で見たいきたいと思うようになって、「ああ、これってもう降りてるじゃん」みたいな(笑)

 

そんなこんなで今、藤原丈一郎くんのオタクやってます!!(笑)

今、すごく楽しい!!不安になることも、落ち込むこともあるけど、じょうくんのキラキラした姿をこの目で見ることが出来て本当に幸せです...!!

 

うちわが持てた時代の松竹座も知らないし、過去のじょうくんの活躍する姿を見ることが出来なかったのは残念だけど、それが私の運命だから仕方がない...!!と割り切ってはいたけど、どうしても優馬くんのソロコン映像だけは欲しくて某フリマサイトで買いました...(笑)本当人生何があるか分からないよね!!(笑)

 

 

 

 

 

大好きな劇場が日生劇場から大阪松竹座に変わりました。